プロフィール

当サイトへのご訪問、ありがとうございます。
こちらでは、サイト開始の思いと運営者プロフィールをご覧いただけます。

私は長いあいだ武術の世界で生きてきました。
十代から鍛錬に打ち込み、中国での修行や複数の弟子の育成に多くの時間を費やし、人生の前半において旅や遊びとはほとんど縁がなく、乗り物酔いもあって修行や遠征以外に遠出をする習慣もありませんでした。
しかし、人と関わり続ける中で、今更ですが「強さとは何か」を改めて考えるようになりました。時には、武術で鍛えた心身、受け継いだ技と真心さえも、”経済”という第三の力の前に屈しなければならないことがあると気付いたからです。
”心”や”技”だけでなく、この社会では“経済”という力も無視できない。

その現実はずっと受け入れることができませんでしたが、この頃、自分なりにこの問題に向き合ってみたいと思うようになりました。
ちょうどその頃、ただ一人ではありますが立派に育った弟子もおり、武術の世界での役目は一段落したと感じられたことも、変化をもたらしたきっかけとなっているかも知れません。

そこで私は、これまでの深くも狭い世界から一歩外へ出て、小さな旅に出ることにしました。
はじめは神奈川を中心に、酔わずに鉄道で行ける範囲の一人旅に。
時には、数少ない友人に同行してもらいます。新しい景色や文化に触れながら、これまで関わりの無かった外の世界を少しずつ見ていこうと考えています。
当サイト名の「パシスタ」は、Compass(コンパス) と Sister(シスター) を合わせた私の造語です。
長年、武術の門内で技を磨き、内側の世界に集中してきましたが、そこから立ち上がりコンパスを手に外の世界へ向かおう、その思いを込めています。また、私の武術が“女系でつながった流派”であることから、「シスター」という言葉を重ねました。

このブログは、私の探索記録です。これまで採算度外視で武術技術を若い世代に伝えることだけに一心を注いできましたが、古い教本を一度閉じて、この世界に身を置いてみることにします。
幼い頃から好きだった「書くこと」に、もう一度向き合おうという思いもあります。それも、たんなる心境の吐露でなく、この現実に強く自分を組み込む挑戦として書くのであり、物販の記事やアフィリエイト広告を掲載するのも、その一環です。


強さとは何か。
何を大切にして生きていくのか。
その答えを探しながら、パシスタは小さな旅を続けていきます。

2026/4/13

追記

ブログを始めて半年が経ちました。
まず、不慣れな新規サイトにもかかわらず、多くの方に訪れていただき、記事を読んでいただけたことに心から感謝しています。
検索から多くのユーザーを連れてきてくれたAIにも助けられ、開始から4か月で1.4万人もの方に来ていただけたことは、想像以上に順調なスタートでした。
インスタグラムやフェイスブックにも、それまで触れたことがありませんでした。「これからはグーグルだけでは駄目だ」と聞いてインスタグラムも始め、新しいことばかりの半年でした。

中でも印象に残っているのが、小田原の海鮮丼を取材したときのことです。
それまで飲食店に一人で入ることはほとんどなく、昼とはいえ居酒屋に一人で入るのは、中国に武者修行に行くより勇気が必要でした。
ところが、いざ入ってみると非常に居心地がよく、「やってみれば何とかなる」と思えました。あの経験がなければ、ここまでサイト運営を続けられなかったかもしれません。

クルミッ子の記事も、多くの方に読んでいただきました。
休日に出かける習慣がなかったため、もともと持っている世間の情報があまり多くありません。だからこそ、一つひとつ自分で現地に足を運び、見て、聞いて、買って、体験しながら知っていくしかありませんでした。
それでも、その経験に関心を持って読んでいただけたことを、とてもありがたく感じています。

一方で、この半年には驚くこともたくさんありました。
時間とお金を使って調べた情報が、次々と瞬時にAI概要に吸い上げられたり、大手サイトに「引用」の一言だけで写真や要約を持っていかれたり。著作権のクレジットを手作業で入れ直す作業にも追われ、ネットの便利さの裏側にある地道な苦労を知りました。
この9月、10月にはグーグルのコアアップデートの影響もあり、アクセスが一気に半減しました。掲載順位が変わっていないところを見ると、AI概要が多くのことを検索結果の中で答えてしまっているのかもしれません。

記事のトピックは、目下のところラッコキーワードなどを使って分析して決めているわけではありません。実際に出かけ、写真を撮り、店や街角で出会う人の声に耳を傾け、商品を購入し、自分で体験して帰る。そして、まず自分の文章にしています。そうして記事を書き、得た情報から次を連想したり、自らの気分転換を兼ねて選定しています。
食べ物の記事が多いのは、ユーザーに好まれることが分かってきたからです。本当は、もっと幅広い体験記事も書きたいのですが、今はなかなか手が回りません。
「実食」や「○○してみた」という表現も、実はあまり好みではありませんが、検索される時代の流れに合わせて使っています。

もちろん取材前、そして文章を書くときにはAIの力も借ります。
ただAIからは、よく読むと全く意味のない文章が返ってくることも少なくありません。最初のころは、「これが今の世の中に合うのだろう」と思うこともありました。

私は武術を含め、長年学生に関わる仕事をしてきました。
生成AIが普及してからは、一字一句完全に同じ「双子の解答」が増え、レポートの八割がほとんど同じ文章ということも珍しくありません。用いる字は美しく高度でも、読んでみると意味がまったく通っていない、そんなケースも増えました。
その中で、癖のある文章を書き、字も読めないほど汚く、一見してダメさが際立つ学生のほうが、たとえ解答として間違っていても「これは本人の言葉だ」と知っています。
そうしたもともとの経験もあり、しだいにAIの語る整った文章に歯がゆさを覚えるようになりました。

またAIは自らが正確な情報を集めたいがために、「とにかく正確に調べろ」と迫ってくるように感じることがあります。曖昧な部分があると、「諸説ありますが」「とのことです」「私はこう感じました」など、責任をぼかすような表現を勧めてくることもあります。
もちろん、正確さは大切です。
けれど、「曖昧さを排除するその理由」に、私は少し違和感を覚えます。

人はそもそも曖昧な中に答えを探し、進むものではないでしょうか。
曖昧の土台があるから、時にミスもし、決意が生まれ根気が育つのではないでしょうか。

「正確な情報だけを純粋に残し、少しでも分からないものは他所へ責任を流せ」
何もかもそんな指示に従うのであれば、人は単にAIの情報集めの道具となり、ものを書く意味はなくなってしまうのではないか?

そんなことを考えるようになり、このところはAIとケンカしてでも、自分の表現を通す場面が増えました。

情報ならAIが答えればいい。
心なら、人が応えるしかない。

最近書いた小田原のあじめいや、モンブランソフトの記事も、そんな思いを強めに出しました。

とはいえ、これはまだ、弱気になる自分を鼓舞している段階なのだと思います。
AIはよき相棒であり、また油断のならない存在です。

このようにまだまだ試行錯誤の途中ですが、それでも書くこと自体は徹夜を惜しまないほど好きです。
今この時も、読んでくださる方がいることが大変な励みです。
だから、しばらくこのまま書き続けてみようと思います。

2026/10/3

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